天牛通信


「ハデトラ」って何?

この4号がお答えします。


4号はトラ特集  

 ミイロトラ、ムコジマトラ、ウスイロトラ、オガサワラチビトラ
日本産91種のトラカミキリについて最新情報、知見等を集めてみました。


2001年2月発行  16ページ

・ミイロトラ………………・高桑正敏
・ニセクワヤマトラ………・伊藤渡
・トラニュース2000……・編集子
・新種記載の舞台裏……・遠藤一之
・まぼろしのトラカミキリ・・小倉直樹
・トラカミキリ雑記…………………・…・宮本敏行
・清水・静岡平野部でのトラカミキリ・・・久保田雅久
・初めてのトラ採集…………………・・・鷲尾洋一
・編集子後記



ミイロトラ序章 高桑正敏

 ミイロトラカミキリは小笠原母島の最高峰、乳房山山頂で 私によって採集された♂が
タイプとなっている。
このカミキリは、そのタイプ1頭しか存在しないとされているが、本当にそうなのだろうか? 
そしてまた、このカミキリをめぐっては、いままで書かなかった(書けなかった?)
エピソードがいくつもある。
多少ふまじめと怒られることがあっても、この際だから、書いてしまおうと思う。
関係者にはごめんなさい。

○発見のいきさつ
 まずは「月刊むし」68号(1976)をご一読願いたい。
ミイロトラが初めて紹介された号である。
ここでは猪又氏によって発見のいきさつが記されている

「小笠原調査行最大ショック」

母島の最高峰乳房山(462.5m)山頂のながめはすばらしく、
霧さえかからなければ母島全島を見渡すことができる。
北方には石門山が間近に見え、東側の絶壁は汀線が
見えないくらいに急であり、洋上はるかには父島が浮いて見える。
頂上はせまく、ほんの4畳半くらいしかないが、上昇気流によって吹き上がってくる
虫の数はかなり多く、3〜4時間くらいではなかなかあきがこない。
その日の前日、東京医科歯科大の篠永先生はハエ類調査のかたわら、この吹き上げで
数種のハナノミを採集されており、高桑はこれらの採集品を譲り受けるとともに、
明日は絶対に乳房山に登るといきまいていた。
しかし、道がそうとうに荒れており登山道がはっきりしない所もあるという話しが出たとたん、
彼はひより、私に同行を求めた。私はどうも、あわれな眼をされると弱いタチなので、
幼稚園児をつれて歩くつもりで気軽にひきうけることにした。

翌日の乳房山山頂はかなりの風が吹き、霧の流れも当然早く、上昇気流に乗る昆虫
を狙うには絶好のコンディションであった。蝶は3種が時たま飛来するだけで、
当初の予定どおりもっぱらカミキリ、ハナノミの採集に精を出した。
ここで、奇跡はおこった。
私がくたびれて腰をおろし、タバコをすっているスキに高桑は、黒味をおびた飛翔中
のカミキリをネットに入れたのである。このカミキリはきわめてすばやく飛んでいたが、
不思議に彼のネットに入ってしまった。
これは彼のウデではなく60口径ネットのおかげであるのはまちがいない。
ネットの中に顔を入れるのと同時に、例によって女のような声で”ニューだ”とワメきたてた。
私は、また始まったかと最初はとりあわなかったが、毒カンの中で苦しそうに動く赤
と黄と黒のコントラストを見てようやく”ヘェー”という気になったものである。
というのも、その瞬時まで高桑はことあるごとに騒ぎ、朽木を掘ってはキャアキャヤ、
立ち枯れについているカミキリ幼虫の食痕を見てはギャアギャア、その他ピイピイと
まるで人間と一緒にいるとは思えないところがあったからである。
もっとも、私は高桑をインコかアヒルくらいにしか考えていなかったから、
あまり苦にはならなかったが。
この美しいカミキリを毒カンに入れたとたん、いったいどんな大騒ぎをするのかと思
いきや、彼は意外と冷静で口数も減り、私の悪口雑言にいつものようにとりあってくれなかった。
さすがに一流のカミキリ屋として貫禄があったのかと思ったが、これは私の偏見で、
彼はあまりの嬉しさに通常の興奮状態を通りこしてしまい何をしていいのか
わからなくなってしまったにすぎない。 「月刊むし」68号(1976)より

その後の話しは、天牛通信4号でご覧ください。


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